Taobody LABO ~東洋身体研究室~
陳式太極拳技撃法

出会いから拝師までと後日談

この投稿は、以前のブログ「練拳閑話」に投稿した内容を再編し、些細な後日談を追加したものです。
以前の投稿については、そのままにしてますので、ご興味がございましたら、以下のリンクからお読みください。
その1 馬虹師父と僕~邂逅 篇~
その2 馬虹師父と僕~拝師前夜 篇~
その3 馬虹師父と僕~拝師 篇~

このサイトをご訪問くださってる方が、どれくらいすでに武術を始めているのかはわかりませんが、改めてご説明いたしますと、中国武術では弟子入りすることを「拝師」と呼びます。
日本の武術でもそうですが、「学生(生徒)」と「弟子」では、学ぶもの(技術そのものだったり、技術に対する解釈だったり)が異なります。
通常、何年も学生として学んで、熱意と人間性に問題ないと判断されたら弟子入りをしますので、私の場合はかなりの異例で、「そんなの弟子じゃない」とか言われても反論できません。ここについては後述します。

私は、もともと北京留学中に、張偉一という老師から陳式太極拳を学んでいました。その内容には満足してましたし、熱心に練習もしていたと思います。
留学を終えて帰国してからは、なかなか訪中することも出来ず、長年不義理をしていたにもかかわらず、日本での武術の先生が訪中した際に、一冊の本を託けてくださいました。それが、トップ画像の「陳式太極拳技撃法」でした。訪中して学ぶことが出来ない私に、張老師が「これで学びなさい」という言葉とともにくださったものです。

この本は套路の本ではないので、学んだものと齟齬が生じるようなものでもなく、あくまで太極拳の戦闘法についての、一つの側面を理解する参考書的な意味合いが強かったのだと思います。
しかし、私は最初のページをめくり、初めて馬虹師父の拳照を目にした時、衝撃を受けました。

ご覧いただければおわかりのとおり、まず第一印象は「低い」、そして、「まっすぐ」でした。
前後しますが、後に学習をはじめてから何度も言われたことに「上半身はまっすぐ、大腿部は平らに、膝から下は地面と垂直」という要求が、うちの太極拳の特徴にあります。考えるまでもないと思いますが、これはかなり大変です。当たり前ですが、師父のこれらの写真は、見事にその要求を体現しておられます。

兎にも角にも、この写真と、本文の解説の詳細さに、一気にこの太極拳に惹かれました。

その後、2004年、実に数年ぶりの訪中を果たした際、張老師に、著者である馬虹という方にお会いしたい旨を伝え、初めての邂逅を果たしました。

前述のブログの投稿にもありますが、留学中、ただただ日々練習をして、およそ旅行などをしていなかった私は、師父のおられる石家庄がどれくらい離れているかも知らず、せいぜい北京の郊外、バスかなんかで2時間程度、と考えているくらいでした。
実際には、当時は列車に揺られて4時間ちょっと、現在では中国鉄路高速で、1時間ほどかかる、れっきとした河北省の省都です。

ここからはかなり端折りますが、当初、馬虹師父にお会いしたい、ということと、できれば書籍を翻訳して日本に紹介したいのでその許可をいただきたい、というくらいしか考えていなかった私を、張老師が馬虹師父に「推薦(ちょっとよく言ってます…)」する形で弟子入りさせました。
少ない滞在日数の中で、急いで準備をして拝師式を行い、晴れて(?)師父のもとに弟子入することとなったわけです。
この過程が、前述した批判を受けても仕方ない部分であり、正直、私自身も心苦しく思っていた点でした。おかげで、「師父」と呼びかけるのが苦手に過ごしていました。もちろん、それでも呼んでいましたが…。

ここからは以前のブログには書いていない部分、些細な後日談です。

拝師以降、年に数回訪問して学んでは、日本に戻ってひたすら練るという日々を過ごしていました。
拝師した最初の時、師父から学んだのは「第二式 金剛搗碓」のみでした。これは、師父がケチくさいとか、伝統的な教え方だから、とかいう理由ではなく、単に私が次に進むのを拒んだだけです。
また、厳密には、師父からこの動作を教えていただいたのは、拝師の一日前ということもあり、お客さんとして学びましたから、なんとなく出来たら、次の動作に進もうとされました。それを私が断ったのです。次々やって忘れてしまうのがもったいないという気持ちと、単純に「これ以上覚えられない」という記憶力の問題でした。

話がそれました。

こんな感じで最初の一年はなかなか進むことなく、とはいえ焦りもなく、練習に通っていました。
そんなおり、北京での講習会が、訪中の時期にあるとのことで、一も二もなく参加することにしました。この様子は、また機会があればご紹介したいと思います。
北京の通州区のホテルで行われた、一週間ほどのこの講習会では、まだ習っていなかった一路の残り3分の2ほどを一気に学ぶことが出来ました。

講習会自体は、とても厳しい内容でしたが、得るものは多かったです。
その講習会のある日、休憩の時間を使って師父に質問したときのことです。
いくつかの動作に関する質問をした後、思い切って聞いてみました。

「張老師のご提案もあり拝師させていただきましたが、突然日本から来て急に拝師したことを、心苦しく思っていました。今でも『師父』と呼ぶのが申し訳ない気持ちでいます。ご迷惑であればおっしゃってください」

と。
はっきり言って、師父は伝統拳の老師としては珍しいくらい、学生も弟子も別け隔てなく指導されます。到達点が違うだけで、教わることはほとんど変わりません。なので、師父が私を弟子だと思っていようが、そうでなかろうが、正直変わることはなかったと思いますし、私もそのことで学ぶことをやめるはずもありませんでした。
師父はとても短く、しかしはっきりとおっしゃってくださいました。

「お前は、弟子だろう? なんで心苦しく思う。遠くからはるばるやってきて、よく練習しているんだから、きにするな」

その時以降、私はスッキリした気持ちで「師父」と呼ぶことができるようになりました。

当時も、おそらくは現在も、兄弟子の中には私を快く思っていない人もいると思います。
私が学び始めた頃は、師父が最初から直接指導するということはもう殆ど無く、多くの学生や弟子は、兄弟子から学んでいました。
もちろん、師父は中国各地の兄弟子に招聘され、講習会を開いてはいましたが、一対多の指導が当たり前でした。ご年齢のことも無関係ではなかったと思います。
そんな状況の中、突然日本から来た私が拝師するだけならともかく、マンツーマンでの指導を受けていたのですから、気分が良くないのは、想像に難くありません。
ずいぶん経ってから、兄弟子の講習会で知り合った人と話している時も、
「誰に習ったの?」
と聞かれたので、悪気もなく
「馬虹師父ですよ」
と答えたら、ギョッとされたこともあります。

自分が特別できのいい弟子ではないことは、自分が一番良くわかっています。
それでも、師父が一生懸命に教えてくださったものを、次に伝えていくのが自分の役目であり、自分の考えを挟むことのない「原汁原味(混ざりけのない)」な師父の太極拳を、多くの日本の太極拳愛好者に知っていただけたら、嬉しい限りです。