フォームというものについて
今回は「フォーム(様式)」というものについて、少し掘り下げて考えてみたいと思います。
これは単なる姿勢や「架式(かしき)」の話にとどまらず、流派の差や、私たちがなぜ「型」を学ぶのかという本質に関わるテーマです。
当研究室では「陳式太極拳」を指導のベースに置いています。
私個人の見解としては、本来、陳式だとか楊式だとかいう名称に過度にこだわる必要はないと考えています。しかし、自分が今何を探究しているのかを示す「看板」や共通言語として、名称があった方が利便性が高いのも事実です。
日本に広がる多様な「様式」
現在、日本でも多くの太極拳が知られるようになりました。代表的なものを挙げるだけでも、これだけの種類があります。
- 陳式太極拳
- 楊式太極拳
- 孫式太極拳
- 呉式太極拳
- 武式太極拳
- 和式太極拳
これだけ多様な様式が存在すると(実際にはもっとあります)、「自分の流派とは違う」「どちらが正しいのか」といった不毛な議論が生じがちです。しかし、これらの「フォーム」の違いは、結局のところ創始者の経験、思想、そしてどの点に重きを置いたかという「着眼点」の比重の差でしかないと私は考えています。
戦略と戦術:フォームの正体
太極拳の本質は、ニュートラルな身体運用を構築する技術です。創始者たちは皆偉大でしたが、同時に一人の人間でもありました。当然、趣味趣向や身体の癖が反映されることは否めません。
例えば、孫式太極拳を創始した孫禄堂。彼は太極拳の前に八卦掌や形意拳を極めています。そのため、彼の太極拳には明らかに形意拳の影響が見られる「閃通背(せんつうはい)」や、独特の「こん歩(かつぽ)」、開手で行う「単鞭(たんべん)」など、非常に異色な動作が含まれています。
達人たちが奇をてらって型を変えるとは考えにくい。では、この違いは何を意味するのか?
私はこれを、「戦術レベルでの変化」だと捉えています。
戦いには「戦略」と「戦術」があります。
- 戦略(方向性): 効率よく敵を戦闘不能にする。四正・四隅、引進落空、捨己従人といった太極拳の核心。
- 戦術(プラン・ツール): その目的を達成するための具体的な手続きや手段。
どの太極拳も「戦略」としての方向性は一つです。武術である以上、相手を確実に制するという目的は変わりようがありません。しかし、そのための「手続き」には差が出て当然です。それがフォームの差であり、それは「盲人が象を撫でて語る」が如く、一つの巨大な真理を異なる側面から捉えた結果なのです。
「できるか!!」という壁を越えて
私自身、最初に武術を始めた時、その動きの複雑さに頭が混乱しました。日常生活ではまず行わない動作の連続。「右手がこうなら左手はこう、右足は…」と考えているうちに、左右の区別さえ危うくなる。
「できるか!!」
何度心の中で叫んだことでしょう。しかし、これこそが「フォーム」を学ぶ過程そのものなのです。
時折、「陳式は難しい」「自分には向いていないのかも」という声を聞きます。
はっきり言いましょう。
武術をなめてもらっては困ります。
陳式が難しい? 他の様式だって同じように難しいのです。楊式なら簡単ですか? 孫式なら?
「できた気になっている状態」と「できている状態」の間には、下水と蒸留水ほどの圧倒的な差があります。
向き不向きを論じられるほど、練習しましたか?
あなたはこれまで、簡単にできることしかしてこなかったのですか?
その壁を乗り越えるためにこそ「フォーム」があり「練習」があるのです。型を覚えることは最終目標ではありません。しかし、型を覚えて初めて、その奥にある本質の入り口に立てるのです。
最後に、私の敬愛する明石散人氏の言葉を引用して、この記事を締めくくりたいと思います。
「そうだ。人の才能に最も大切なのは、様式(フォーム)だ。これは学問、スポーツ、芸術、作法、何の世界にでも必須の条件として存在する。ゴルフのクラブは誰にでも振れるが、自己流、居心地の良いという意味だが、これでは絶対に上手にならない。コーチについてみると、最初、あまりの無理な姿勢に仰天する。でもその無理な姿勢が正しいフォームなんだ。スコアは飛躍的に上昇する。」
「フォームというのは、居心地が悪いことを反復継続するということなんだ。フォームを習得して初めてその人の才能が開花する。……」
(明石散人 著 『アカシックファイル巻十七「やればできる」教育の罪』より抜粋)
もし関節が不自然に痛むなら、それは間違いです。すぐに直させてください。しかし、そうでなく「体が不自然で居心地が悪い」と感じるなら、それはあなたが正しくフォームに向き合っている証拠です。
その居心地の悪さの先にこそ、本当の身体操作の自由が待っています。
共に、この「フォーム」という難敵を楽しもうではありませんか。
東洋身体研究室 代表 裏山 元紹