そろそろ、完全な個人指導をする生徒を取りたいな、
と思う今日このごろである。
中国において、拝師をして弟子となれば、基本的にはその指導は、
個人指導へとシフトする。
僕の場合、幸運にもいきなり拝師をさせていただけたため、
その練習は套路の順序の学習は公園で、
細かい修正については師父宅の居間で行われた。
当たり前だが、集団での学習と個人指導では、その内容の濃さに違いが生じる。
誤解のないように述べておくと、師父は学生と弟子をそれほど明確に分けて
指導をされてはいなかった。
基本的に習っている内容は同じもので、その意味では、秘伝などというものは
師父の生徒・弟子間に存在はしていない。
だから、違いは何か、と問われれば、要するに、
どれだけの回数ダメ出しをされるか、
に尽きる。
公園での朝練では、学生の動作を交えた質問にも、師父は笑顔で答え、
それほど厳格な矯正をされなかった。
ある時、その様子を見て、あまりに自分が直された時とは違うゆるさに、
「今の動きでいいんでしょうか?」
と問う僕に、師父は、
「皆目的が違うから、いいんだよ」
と答えられた。
確かに、弟子になってマンツーマンで習おうという者は、
より正確で、武術として太極拳を求めるが、
健康法の一環として学ぶものは、そこまで求めていないのかもしれない。
あるいは、著名な師に学んでいるという充足感を求めているのかもしれない。
僕の教室では、(自分が商売に向いてないだけかもしれないが)基本的に
少人数での指導を行っている。
違う人間を相手にしている以上、致し方のないことだと思う。
しかし、もう少し一人ひとりに時間をかけたいというのが本音だ。
そうしてこそ、一つひとつの動作をしっかりと伝えていけるのではないだろうか?
そして、冒頭の思いに帰着するのだ。